クリスタルジャック様の東屋

気ままな独裁者のブログ

凄まじき旋風!!大谷翔平信仰とその行く末

諸君、ご機嫌よう!!

クリスタルジャックだ。ところで、このブログを見ている君たちは『大谷翔平』という人物を知っているだろうか。
自分で尋ねておいて何だが、知らないとは言わせないぞ。この日本で彼を知らない人間は非国民といっても過言ではなかろう。というか、非国民でも知ってるぞ。
最近も結婚を発表するなどして日本中から注目を浴びる大谷翔平。なぜ彼はこれほど世間の耳目を集め続けられるのだろうか。私も元国王としてとても興味深い。


さて、本記事のタイトルを大谷翔平‘’信仰‘’と大層仰々しく付けたことで、「おっ、こいつ大谷翔平アンチか?」と身構えた方もいらっしゃるかもしれない。だが、安心して下さい。違いますよ。逆にアンチの皆様には期待させてしまって申し訳ない。私もどちらかといえば信仰している側である。それも彼がまだ可動式の三セク球場でプレーしていた頃からだ。彼が実力あるアスリートであることは誰もが頷けると思うが、なぜこの日本で彼だけそんなに信仰が篤いのか。このことについて、2つのポイントから繙いていきたい。


まずは、人格面だ。神話に登場する神様は大抵ここに問題があるが、彼は全くと言っていいほど人格に難が無い。ファンサービスは手厚く、悪いことも言わない。それに何よりストイックなのである。恐らく彼ほど努力する人間であれば、どれだけ才能に恵まれていなくともある程度の成功は保証できるだろう。近頃よく才能と努力を巡って議論がなされるが、そのどちらにとっても『大谷翔平』という存在は都合が良い。日本人離れした圧倒的な体格と自律した厳格な精神、つまり規格外の才能と努力を両方持ち合わせているからだ。しかし、彼自身は才能を見せびらかすことも、今までの努力をくどくどと語ることもない。まさに神の領域だ。


もう一つは、マスコミとの関係性だ。無論マスコミは「海外で活躍」し、「問題行動をとるリスクも限りなく低く」、何より「野球」をプレーしている『大谷翔平』が大好きなのであるが、私はずっとこのマスコミと彼の関係性を誤解していた。私は彼のことを大のマスコミ嫌いだと思っていた。
過日、大のマスコミ嫌いが災いして憂き目に遭ったアスリートがいる。フィギュアスケーター羽生結弦選手だ。羽生結弦は確実にマスコミを嫌っている。それもかなりの具合でだ。彼のプライベート秘密主義っぷりは尋常ではない。別に悪いことではないのだが、このSNSの隆盛を極める昨今では何でも秘密というのは通用しない。それは、どこからでも漏れるという意味でもあるし、どこからも漏れなくとも想像で勝手に形作られる、という意味でもある。理不尽ではあるが、致し方ない。沈黙は肯定と捉えられるのと同じように、秘密は今や自由に事実を補完してよい許可証として機能してしまうのだ。
大谷翔平』もそのようなアスリートの一人だと私は思っていた。しかし、実態は違うようだ。彼は懇意にしている記者には、公の場では秘密にしていた結婚相手について語っていた。(さらに遠征前には、公式のSNSで素顔を公開している。)実に上手いメディア対応の仕方だ。彼はマスコミの中にもしっかりと味方を作っているようである。もっとも、マスコミを全く嫌ってないワケでもないだろうが。


以上、私の考える『大谷翔平』信仰が篤い要因をここまで語ってきたが、私が気になっているのはむしろこれからのこと、つまりこの信仰の行く末である。
今までの私の経験上、あらゆる英雄が些細な言動で、もしくは悪事や過去を掘り返され、暴かれ、地に堕ちてきた。だが彼の場合、疾しい過去といえばサインを行ったこともない風俗店に勝手に飾られたぐらいしか思い付かないので、やはり言及すべきは未来だ。彼はいつまで神でいられるのか。信仰の力が大きければ大きいほど、一つの綻びを見つけた途端に異教徒がとてつもない大声を出して騒ぐのは目に見えている。
私はもちろん、彼がこのままずっと神の領域に留まっていてくれることを願っている。未来永劫、批判の渦中にいないことを願う。


もし未来人がこのブログを読んでいたら、この私の不安が杞憂かどうかこっそり教えてほしい。あと、このブログがこれから人気になるのかもついでにな。